Plaire, aimer et courir vite

20 mai 2018

 

是枝監督のパルムドールが話題ですが、
これもカンヌ映画祭に5つ出品されたフランス映画の内の1作だそうです。
なんと、ここレンヌでロケが行われています。

 

Plaire, aimer et courir vite

理解度5割。6割でもいいか。
パリの小説家とレンヌの学生の恋愛。登場人物は、ほぼ全員がゲイまたはバイセクシュアル。
女性は主要人物二人のそれぞれの女性パートナーか元パートナーなのだが、コミュニティの中で愛憎にほぼ関係ない、人畜無害の存在になっているのが特殊といえば特殊だった。

青みがかった清涼感のある図なので、ラブシーン、それも複数人交じっての図が多くても嫌味なく、ひたすらきれいです。「ムーンライト」を意識したのかもわからない。

設定は90年代なので、スマホはなく、回線のたわみを駆使して固定電話を室内で持ち歩くスタイル。

特にパリの男 (Pierre Deladonchamps) は男女だれからもモテるほど美しく、何しても絵になりますが、パートナーとの関係に夢中で、微妙にネグレクトされている息子がかわいそう。

特定のパートナーを持つというのでなく、たとえば夜の町を歩いて、その場で相手を見つけるようなスタイルは、なかなか厳しいと思う。お互いに値踏みするし、その土俵に上がらなくてはいけない。

主要人物は小説家と学生のはずなんだけど、どちらも何かしら勤労している図がなかったのもあいまってか、奔放すぎて最後の方ちょっとイラつく自分に、抑圧と人間的なつまらなさを自覚しました。笑

「死を思え」という感じ以上のことはわからなかったし、見ててそれなりに長く感じはしました。
この性関係と、人間が死へ向かう時間の閉じ方だけを描きたかったのかな…というのと、
仮にも自分が住んだ町が記録された映画なので、円盤かデータ化されたら買っておこうかなーと思いました。

Conseilの在り方

17 mai 2018

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未だに街の人の優しさに泣かされている。

劇場の綴りチケットを、まちがって予約してしまい、
交換してもらえるか頼みに行ったら、かなり快く対応してもらえた
(心配ご無用!って言い回しがあって(No problemにあたるんだろう)、いっつも言われるんだよな~結果が心配より膨れ上がるケースも仕事だとあるけどさ笑)

座席をピックアップしてくれて、パッと決められないでいると
「アドバイスさせてもらえるなら、ダンスの演目だと全体が見える方がいい。手前は見たい演者や目的がある時だね」
と親切最上級なconseilをもらい、中央奥を選んだ。

常設市場では季節のメロンに挑戦。
八百屋さんが選ぶ際に「いつ食べますか?今夜?明日?」と無造作に聞いてくれ、
そんなタイムラグ気にしてくれるの…ケーキでもないのに…と久しぶりにほのかなカルチャーギャップを感じた。

昨日の芝居がだるま落としのように、心に効いた。
実務に落とし込むのも手だし、実生活では実生活を送ることしかできないけど、
奥底の精神面は精神活動によって動かされるのもよくわかった。
ヴェトナムの人の涙が、フランスの人の戸惑いが、描かれることによってたしかに自分の心を洗った。

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SAIGON – TNB

17 mai 2018

SAIGON par CAROLINE GUIELA NGUYEN, TNB

台詞劇。理解度6-7割。
精巧なヴェトナムレストランを舞台に据え、
それが1956年のサイゴンだったり、1996年のパリだったり、最後の方には1996年のホーチミンになったりする。

決して占領への非難の物語でない、もっと人間の普遍的なテーマだという前評を読んで行ったけど、
充分に重い話題と、悲しむ人たちの連続…という構成でやむなし。

はじめ舞台写真を見て、とにかくきれいだと思って観たくなったのだけど、
場面転換は人物の入れ替わりや字幕で説明されるだけで、ずっと同じレストランにいるので、
それで飽きさせないのは相当に美しいものだと思う。色合いが素敵。

それでこのテーマなので、自分の理解度を別にして色んなことが思い出され、何を見ても泣けてしまうこの頃としてはある意味ではちょうどよかったです。

夫を探すフランス女性、息子を探すヴェトナム女性、
伝えようとする人、伝えたくない人、それでも通じ合おうとする人、
政治に振り回される人たち、その中で運命を紡ごうとするカップルたち
と、ヴェトナム・フランス交えてきっかり10人の俳優で回しました。

仮にも平日夜に、これを見ようとそれなりの人数が劇場に集まるのもいいね。

あと写真撮る暇なかったけど、幕間に「アントラクト限定メニュー」として
カフェバーで大急ぎとった焼き鳥(?)とビールとが最高にうまかった!
長い作品だったので、ここで軽食とっておいたのも正解だった。
ヴェトナムメニューなのかな?たいてい外食は高いのに、この2品で4.5ユーロって神。

びくびくしながら張り付いているのもさすがに健康によくない。
遠出は難しいとなると、こうして劇場に行くのがよいとわかりました。びくびくしている自分を客観視するのにもよかったです。

アホ服 Cher Vêtement

12 mai 2018

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気が狂って、日本でついぞ手にしない(見もしない)アホ服を調達してしまった。

気が狂ってばかりもいられないので、禁酒・禁ポテチとし、
遠のき気味だったランニングもしました。

ほんのちょっと禁欲的に何かを遠ざける行為って、たしか仏様に対するそういう供養もあったよね…(名前を忘れてしまって、調べても出てこない…なに供養?なんとか膳?)

変に罪悪感や不安感が湧いたときは、
ヘタに自分を甘やかすより(甘やかす由もなし)、明らかに健康的だーと思うことをした方が、かえって前向きになれるようです。

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それにしたってアホ服は愛おしい。
又吉効果で、自分も(変な)服が好きということを急に思い出して、いろんな服が見たくてたまりません。
「ここで体験しなかったら、一生やらないだろうな」と、冥途の土産として判断することがある。もうこれ、毎日着るか。

倦怠と外国語

11 mai 2018

アパートの階下に本を貸し借りできる共同スペースがあり、
ルームメイトが中国出身の作家のものを持ってきた。日本にもゆかりのある人らしい。

Shan Sa, Impéractice
母国語以外で執筆できるというのはすごい。いざ滞在してみた身からすると、途方もない偉業だと思う。

1秒でも休みたかった頃の時間に充てたいほど、
このところ先の予想ができないままの待機状態に陥っているのは何度も書いた通りで、
それでも時間があるとはありがたいものだと感じる。忙しいと不安が紛れるというのもわかるんだけど、やはり限度というものがあって(真顔)、人の生活ができないほどとなると、まず忙しさ以外にも問題が出てくる。

ともあれ遠出もできないこの時間のほとんどを、なぜか日本文学を読むのに費やしてしまい、
これじゃあ日本国内にいてもできるじゃないかともったいなく思う一方、どうもアンテナが寄ってこないときというのはあると知っているので、読むに任せていた。

さらに、仮にもヨーロッパに体がありながら旅行に行かないなんて、このあと人生にどれだけ五体満足でいられるか、自分のために使えるリソースがあるかわからないのに、やっぱりもったいないと焦る。
という一方で、旅行の計画や情報を集めるのに乗り気でないのもよくわからない…

などとつらつら考えていたが、今日になって、体が休息を求めていたこともわかってきた。
数時間しばらく寝入ってなんとなく回復したら、やっぱり外国語が好きだからがんばろうと思った。

花のある生活

27 avril 2018

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バラはきちんと年老いて、それでも茎は1週間くらい平気で持った。
あの量が3ユーロということはここでも頻繫にはないようで、切り花がない時も寂しくないよう、目に留まった小さな鉢植えを迎えた。
鉢も含めて12ユーロ。妙に、この部屋にマッチしている。

断捨離を一度すると何が変わるって、消えないものを買うのにかなり抵抗が出る。自分は引っ越しが多かったのもあり、一つでもモノがあると引越しが大変になるという実感をいつも念頭に置いている。

そうなると、本当に気に入ったものしか持てなくなる。風水的に運気が上がるかは知らない。そうして本当に大事なものだけ手に入るかも、わからない。

思えば何か飾りたくなるような部屋に住んだことがなかった。

と思ったら、東京でも小さな観葉植物を一つ持っていたことを思い出した。東京に移るときもらった、マリメッコの茶碗に入れていた。

昨日一日、渡仏して一番くらい「フランス」に対してやる気が出なかった。今さらのホームシックか、ただのダレか??と思ってみても、単に体の一部が不調とか、そんなもんかも。
一分一秒がもったいないとわかっていてもこうだ。動けないときってあるなとわかっておくことか。

花と緑、というのは思いのほか「摂取」したい感じがする。誰だったか、水道くらい人間の生活に必要なものと言っている人がいた。

ひさびさの marché

21 avril 2018

久しぶり、何ヶ月ぶり?!にマルシェへ。
土曜午前に人間の形をしてることがなかったし、人と会うことが耐えられなかったりして、バカらしいけど本当に足が遠のいていた。

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完全に夏!の気温なので、特にアフリカ系の女性の服装がまぶしい。
ワンピースや何と呼ぶのかわからないバンダナやアクセサリーをさらっと決めていて、全身が太陽に愛されてる。得意な季節なんだろう。

度胸はついたけど、まさに数量を頼むような日常語を覚えてない。
「それぞれ違う種類を一つずつ」とか、字義どおりにはとりあえず言えるけど本当は3語で済むようなことなど。みなさん優しいから教えてくれる。

マルシェはやっぱり元気になったから行けたんだと思う。

仮にもフランスにいながら、こういう市場に行かないなんて本当にもったいないと改めて思った。食いたい、という気持ちであらゆる障害を突破できるか。

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とにかく今は、ソーセージをまるごと焼くぞ。レシピは沢山あるんだろうけど、薄く切ったりしないぞ。

映画 Place Publique

19 avril 2018

Place Publique

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理解度4割。半分上の空で観てしまった。

元スターのカストロとその仲間たちがパーティーで起こすゴタゴタと一部始終。

台詞で笑わせるはずなのだが、何しろ上の空でほとんどわからん。すみません。

とにかく庭の風景が美しい。金持ちー!って感じの画が見られるのが、フランス映画の一つの魅力でしょうか。どうしようもない動機ですみません。

それにしてもフランスのコメディ、ガーデンパーティーの一部始終とそこでの人間模様で表すものが多くないか。

あと2回ずつ同じ俳優が見つかるようになりました。Jean-Pierre Bacriは前もパーティーの映画(Le sens de la fête)に出ていた。パーティー俳優か(何を言っている)。

有名な人は本当にたくさん出演しているね。

 

何しろ理解度4割なので、全体的に気の抜けた感想でした。

エビと逡巡

19 avril 2018

神さま
私という耳かきに
一度だけ海を掬わせてくださいまして
ありがとうこざいました

と、しばらくまど・みちおの詩「臨終」の気分だったんだけど、

そう書いてみたそばから案の定モヤモヤしてきて、一日過ごした。

 

ストの影響によりしばらく、どこまで「監視下」にあるのかわからない、

旅行にも行けるわけでもないが、仮初めの自由時間の中で、
自分なりにフランスらしい過ごし方が体験できた。

自分は留学をし逃してし逃して、
学生のステイタスを捨ててしまえば、渡航することはけっこう難しいのだが、
こうして就労という形で不思議に渡航した。
意に沿わなかったことも含めて、自分に合ってた出来事なんだと思った(カツマーっぽい)。

しんどい時は、自分の知るあらゆる日本語の「もうダメ」シーンのセリフ、
ウッチャンのドーバー三巡目(もう泳げない!もう俺泳げないよ)や、

ヘルタースケルターの仕事に泣きじゃくるエリカさんが頭を埋めまくった。
(ウッチャンは後にコントの中でこのシーンをセルフ物真似していた)

しんどさもさることながら、これならワーホリで来たほうが為になったのでは…?というのは、何度も考えた。

自分がいかに幼稚か、成長のない人間か、イヤというほど、それはもうイヤッというほど思い知った数ヶ月だった。
まだ終わったわけでないはずだし、今後がどうなるかわからない生活に耐え、続ているのは、
自分一人の荷物を少なくしているから・そしてそれらが叶う五体満足と状況に今ならあるからだ。
これらに何ひとつ嘘はないんだけど、真実はモヤモヤの形でしか現れないという説が、今まで話し通じ合った人の中で共通にある。

地域やルームメイトに恵まれ、花も飾ってみた。

なんとか用意したものでも東京の安居酒屋メニューよりそりゃおいしい。とはいえ。

なんでも想定どおりにいく訳はないが、それでもそもそもの目的が達せられない以上、満足と言ってはいけないだろう。

というのもまた真実で、エビの目がぐるぐる黒くこちらを見ている。
追い詰められて始めることは、やり尽くしただろうか。

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Comédie 2本 (GASTON LAGAFFE / TOUT LE MONDE DEBOUT)

15 avril 2018

いいお天気。また必死モードにギアを入れ、映画館へ。

 

GASTON LAGAFFE

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理解度6割。全体にCGっぽい作り。

Eチケットが上手く受信できず、入口で紙に再発行してもらうのに手間取り、ちょい遅れて入場。

そのため始めの設定がわからなかったが、ひたすら主人公ガストンが荒唐無稽なことを起こし、会社の大人が巻き込まれてワーワー騒ぐ…という他に筋立てはないように思えた。

主人公の俳優(何歳??)のCGっぽさがすごい。実際、動きのある程度がCGなのかもしれない。緑の上着から常に背中が出ており、のそのそ猫背で歩く。美貌で、それなりになぜかモテる。バンド・デシネからそのまま抜け出したような風格。

憎めない怠け者や風変わりな主人公が、組織に入って大騒ぎに…という話は、フランスの作品にちょくちょくある気がする。こういう点もバンド・デシネっぽい。

 

なぜガストンの荒唐無稽な手作り製品が受け入れられ、人を轢こうが火傷させようが溺れさせようが、みんな受け入れているのは、

自分の理解が足らないのか、「コメディですから!」の一択で不問なのか、その点は謎のままだった。

女性の扱いは一つも良くなく、黒人社員が数人いたが、ガストンのトラップにはまってひたすら困る役回りで、名前はついていなかった。

説明するのは少々野暮だが、ポリコレへの”配慮”というより、作品がどう対しているか・あるいは扱っていないかという点は見たい。そういう点では、英語圏の作品には全体としてガンガンに負けているように感じる。

 

TOUT LE MONDE DEBOUT

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打って変わって大人のコメディ。理解度5割。大筋はわかるが、細かな「あー台詞で笑わせている」と周りの人の反応で感じるところが、わからなかったorz←この文字?はまだ使われているのか

もう若くないが、女の尻を目で追い、行き当たりばったりでウソをつく。ものすごくわかりやすい俗っぽくてチャラい、中年を過ぎつつあるような男性主人公が、ひょんなタイミングで車椅子に座っている瞬間に若い美人に出会います。

ハンディキャップに親切で、極めて感じがよく明るい彼女と仲良くなってしまったことから、彼女とその家族の前では車椅子常用者のふりをし続けることに…という、設定のなかなか面白い作品。

このまま「若い美人」(序盤、体のパーツを主人公の目線に合わせてアップにされる)についたウソのために本人が翻弄されるだけだったら、まあ翻弄されておれという感じで特に心に響きませんが、

この作品のいいところは、そうして俗っぽい気持ちから得た関係が、彼女のお姉さんの方にシフトしていくこと。

なんと、お姉さんが本物の車椅子常用者だったのです。

 

という訳で、身近にハンディキャップを持った人がいるコミュニティに会うことになったことから、取り繕おうとする主人公と仲間に笑いが起きます。

さらにお姉さんは、音楽やテニスと活動の域が広くそれはもう心身ともにエネルジックでsympa(感じがいい)で、観てる方もいつバレるかとそわそわするし、さらにはウソをついていることがわかったとき、こんなsympaな人が悲しんだらつらい、という気持ちになっていきます。

どこまでどうやって撮影したか、車椅子テニスは迫力があり、

主人公が俗っぽい己の世界から、ハンディキャップが「あっても」というか、なおさらというか、エネルジックに日々を生きる相手の姿に引き込まれていきます。

最後は、こうとしかなるまいという展開ではありますが、ごく感動的です。人は心から贖罪をし、許されることで人間になれるのかなとほろりとしました。そういう点でキリスト教っぽいかも。

 

心が洗われつつも、語学力が頭打ちになっており、生活のルーチンを変えていくことを改めて思ったのでした。

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