映画 Girl

11 octobre 2018

シネパスがまだ有効なので、映画館へ。

Girl 予告編

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男性として生まれ、心が女性の主人公ララはバレエダンサーを目指している。予告編を見てもわかるとおり、すでにというかかなり「女性」なのだが、
レオタードを着るたびに股間にかなり痛そうなテープを巻き、他の女性ダンサーとの競争もしなければならない。
繊細な性質とバレエという完璧を求める関門の前に、ホルモン治療を受けることにするのだが…という物語。

バレエ練習の場面が多くあり、この(あえて言い切るなら)特異さを活かした主演俳優の身体とその能力にかなり依拠した作品だと思う。
どうやって打ち合わせ、どうやって撮ったのか、全体として興味がある。

はじめにピアス穴を自分で鏡を見ながら空けるシーンがあるが、この場面はララが自分の身体に »無理 »をする性格であることを示しており、後々まで効いてくる。
音声や映像のテクスチャーは繊細で、よく出来ている。観ていて始終ヒリヒリする。

性器が映る場面もあるが、レーティングはなかったと思う。もちろんいかがわしさはない。
日本で公開してほしい、特に日本の女性に観てほしいという個人的な気持ちがかなりあるが、このため公開どうなるかなという感じ。

MY PURE LAND 感想

14 juillet 2018
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誘ってもらって観た。日頃007のワルサーだとか西欧作品のピストルパンパンで喜んでる(?)のがあまりにも罪深いと思った。銃弾一発の重みが違いすぎる。
女の子よ銃をとれどころじゃない、実話に基づくパキスタン映画。

限りない理不尽の中で、自分の家や精神、さらには答のない問いすらも銃を取って守らねばならないとしたら…

自分だったら何もできないと思う。

 

「命よりも名誉を重んじる」という信仰に加えて、父親が娘に与えた愛情を拠り所とした「自分の中に信念はあるか」という二本柱が、ただ理不尽を受けとるだけは違う結末を導く。

現地の風景やお祭り、そして俳優が言葉にならないほど美しかった。

 

 

School of Rock

10 juillet 2018

某月某日
突発・School of Rockの感想:
ロックに生きながら、バンドメンバーを外されてしまった冴えない主人公が、
居候している友人宅の友人宛に来た教員の採用をパクリ、小学校の受け持ちクラスでロックをかますという明快なストーリー。

公式の360°ミュージックビデオ

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主人公は四六時中このままのテンションで、観ているだけでも血管キレそうだった。
俳優はみんなアメリカ英語だったんじゃないかと思う(でないともっと全然聞き取れない)。

大人と教師たちは基本的に規範に縛られ、生徒たちはそれぞれ家庭で親子のわだかまりや問題を抱えている。
校内で浮いた存在の主人公と交流することになる別の教員や、子供に本心を打ち明けられない大人たちにも、当初反対していたロックを通じて変化が見られるようになる。

分かりやすい記号だけど、それだけにたぶん特に子供を持つ人にはぐっとくるものがあると思います。本当に出ている映像そのままの作品。

一場面、「今だけ撮影してもいいぜ!」という場面があったので言われるままにビデオ撮りましたが、どれかSNSにアップロードしたら違法の可能性ありと判断されたらしく、削除されてしまった…
とにかく気前のよいミュージカルです。

The Phantom of the Opera at Her Majesty’s Theatre 「オペラ座の怪人」を観て

29 juin 2018
はじめに断っておくと、元“ガチ勢”ですが、ここ数年はミュージカルの舞台そのものを観ていませんでした。
※以下、改行が機能せず、読みにくくてすみません。
6月某日 ; ロンドン、ハーマジェスティシアターにて
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日本で初めて観たときの倍よりちょっと、自分は年を重ねた。
劇場の内・外の予想外の「宝塚」感と、スチール写真の変な加工(写真参照)、
アジア系だらけの客層に驚いて、なんだかコソコソ入場した。
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ここまでメロドラマ、乱暴にいえばオタク路線だっけ?と思ったが、
始まるとヒロインの演技や演出が日本のカンパニーと全く違うのに引き込まれた。
(とかいって、今の日本版も変わっているのかも)
「オペラ座の怪人」は今みるとポリコレを持ち出すまでもなく、
人物関係を手放しで受け入れるには難しい面があると思う(年齢差、パワーバランスの問題など)。
ハリウッドでも近年では、「年の差カップル」の気軽な扱いは避けると聞く。
私もこういう動きには、あえて言うなら「賛成」で、じゃないと現代人の問に作品が答えない=普遍性が足らない、面白くない場合が多いと思うからだ。
ロンドンでも、演出はちょこちょこ改良しているのかもしれない。
今回、こんなにクリスティーヌ(Kelly Mathieson)の人物像で物語が展開するとは思わなかった。
日本版だと、ヒロイン当人がなかなか意思決定や拒否をしないことで悲劇が進行する。
ラストの哀しい展開は、どうしても彼女にヘイト感情が誘導されるが、可愛さ純朴さとして説明するしかない。
今回観たのでは、ヒロインには知性と意志がしっかりある。
それゆえ彼女は状況ごとに驚き、悩み、挑み、意思決定をする。災難はそれに沿って、彼女への試練として押し寄せる。
彼女ははじめ、ほとんど僧侶のように芸術に邁進する人物として登場する。歌いたがらなかったThink Of Me が止まらなくなり、レリゴー(アナ雪)状態になる。
そんな彼女にとっては「音楽の天使」というのは、おとぎ話というよりも、
日陰で暮らしていた中で受け取った天啓、自分はこれをするんだという神の導きとして感じられただろう。
そうなるとその後に待つショックもうなずける。神の導きとして信じた先には、生身の人間の問題に向き合わねばならなくなる。
日本と筋は同じなのに、キャラクターにこんなに深みがあることを初めて知った。ほとんど女性のハムレットだった(←なんでもハムレットに見える病気なので)
ロウソクがずかずか上がってくる場面や、マスカレードの色彩の洪水では、自分がここに来るまでを思って勝手にウルウルきたりもしたのだが、
クリスティーヌが混乱の最中、亡き父を想って歌う Wishing you were somehow here again でこれまでと全く違う感動を得て、爆泣き。
ラウルとクリスティーヌの関係だけを見ても、二人の身分違いの恋愛は「ロミオとジュリエット」的な物語として成立しうる。
障害を厭わないラウルは立派だし、二人の精神的な繋がりがよく見え(習慣としてよくハグをするのもいいね)、そうなると怪人には勝ち目がなく、何をしても哀れ。
ファントム(Ben Lewis)は、よく泣く怪人だった。後で映像を見ると印象が違うので、この日は普通に声の調子が良くなくて、泣きに依存せざるを得なかったのかもしれない。
今回、せっかく世界が広がって見えたので、物語についてもう一点だけ述べておきたい。
仮面が象徴となり、マスカレードの場面が挿入される本作品の中で、
「誰がウソをついているか」(あるいは「誰がウソをつかずに生きていけるか」)を考えた。
真っ直ぐに生きられるラウルにはウソがない。怪人はハナから隠し事をしている(そうでないと生きられなかった)。「群衆」その他の人物は日常的にウソがあり、そのようにして生きている。
クリスティーヌはウソをつくことができず、それゆえ人間の両面性を他者にも自分にも感じとり、その狭間を長く「揺れ動く」ことになる。だからやっぱり彼女は物語の主人公だ。
[2018年ウェストエンド・ライブでの映像]
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今回はクリスティーヌ役が印象深く、もう「オペラ座のクリスティーヌ」「クリスティーヌ英雄伝」という感じ。新たな扉が開いてしまった。
フォーリンラブなKelly Mathiesonさんの ツイッター / インスタ
クリスティーヌ役のインスタが見られるなんて、すごい時代…!私服もかわいいわ…完全にいいわ…!

アーティチョークへの変身

6 juin 2018

アーティチョークの最もおいしいと言われる部分である芯まで食べ終えると、

全身がアーティチョークになってしまい、何度も鏡で自分の姿を確認しないとならなかった。何を言っているかわからねぇと思うが

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カフカの虫に変態するグレゴール・ザムザって、アーティチョーク的なものの影響で生まれたんじゃないかとさえ思った。
可食部はさっぱりしたサツマイモのような味。
強い味じゃないのに、影響力が強い。肝臓をきれいにしてくれるらしいけど。
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咲き誇る最近の食卓。

宣誓 serment -灼熱の星を生きる

4 juin 2018

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・悪いことがあったら、その倍は善いことを見つけよう。時間がかかってもいい。

・忙しさに呑まれてはよくないが、自分の場合は空白を埋めよう。質の良い文章を読み、頭の回路を増やし、新しいことを知ろう。

・感情を切り離し、蓋はしない。受け取ったものは使う。フィジカルに強くなる。

 

副題は以下からお借りしました。いじっている内に反対の反対=対偶?になりました。

冷凍都市でも死なない

「死なない」に至る、その状態のこともよくわかる。時が来るのをじっと待つしかない時も本当にある。

だが今は、死なない、というか、かなり積極的に生きよう。

生きる意味は問うものでなく、自分が今この瞬間に問われているものだ。

書かざるを得ない

28 mai 2018

職場が長い封鎖状態に入る一か月前後、

当時の精神状態でこれはと思い、見つけたフレーズを書き溜めた、やばいリストがあるので公開します。

()内はここでの私の追記です。

・どうしても書かざるを得ない(ことがある、という意味だったはず)

・自尊心が高まると「不自然な動きをしなくても しかるべきところに物事がおさまるだろう」
(と考えるようになる、という文脈)

「自由、本、花、月がある。これで幸せでない人間がいるだろうか」オスカー・ワイルド
(だがこれら4つを揃えるのはなかなか運が要る)

意識していないと、好奇心は手近なところで消費させられる
(ネット中毒などへの警鐘だったと思う)

運命は作る(←『かわいいは作れる』みたいで恥ずかしい。意気込みだったのだろう)

考えない [見ざる・聞かざる・言わざる・思わざる]
(美輪明宏発だったかな~)

これが、自分が書く最後の文章だ、と思って書くことだ。今、書いている言葉は生者だけでなく死者にも届く、と信じて書くことだ。[若松英輔]

以上7点が残っています。
最後の若松英輔のは、書くという行為の本質を突いているようで、ぐっと来ます。
私には「この変なソーセージおいしい」みたいなのがこの世で書く最後の文章、また »書かざるを得ない »にあたるんだろう。

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このフランスドメインのブログを何のご縁かこうして訪ね、ブルターニュの空模様を見させられる方にもご加護を。

神様 mon Dieu

27 mai 2018

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何も加工していない。ただカメラによって切り取っただけ。

この身にこんなのを見せて、神様はいったい私に何をしてほしいんだろうと思う

「こんなのを見せて、私に何をしてほしいんだろう」と思ってほしいのかもしれない。

犬も食わない二時間耐久レース-Clôture de l’amour 愛のおわり

25 mai 2018

パスカル・ランベールの戯曲。

前半の1時間半を男性が、後半の30分を女性が延々と激しい別れ話(?)を繰り広げるという、犬も食わない2時間耐久レース。

しかし2011年のアヴィニョン演劇祭に書き下ろされ、
以後フランス演劇賞やドラマ文学賞と数々の演劇賞を受賞している。

平田オリザ監修で日本版もあり、『愛のおわり』という邦題。

よって日本のブログ記事に、いくつか面白いのが見つかるのですが、
内容についてはこのブログが面白いと思う。
[論理的にしゃべる男の虚しさ-愛の終わり-]

「男は自分の本心を抽象論で囲い込み、喩え話で女を追い詰めようとする。戦い、血、関節、乳房……。[...]それは本心を取り囲む抽象論から生み出された例であって、二人の現場に必ずしも当てはまらない。女を目指して発されたはずの言葉は身体にも心にも当たらない。まさに心が動かせない。」

作者ランベールについては、SPACのこの記事も。堂々とナルシスト呼ばわりしつつちゃんと評価している。

パスカル・ランベールと愛のおわり

日本の演劇関係者、どうしてもこの辺の海外作品に媚びてしまうところあると思うので(そりゃ、悪口書いたって誰も得しない!)

このくらいすっきり書いてくれると読み応えがあります。

自分の理解度はともかく(ともかくかよ)、

言葉が相手の身体を突き刺す(突き刺しうる)ということを、徹底して(『最後 (極限) までやろう』というセリフがある)

描いてしまったがゆえの耐久レースなのだと思った。

実際のところ、勉強と思って観ているものの、

自分がこういう作品好きかといわれたら、難しい。単にアンテナが合うか合わないかという面がある。
他のメディアにコンテンツがあふれている時代に、わざわざ「演劇」を「舞台」で実践するとしたら、それは基本的に何かを突き詰めるか、実験してみるかになる。
それを見てみたいとも思うし、美しいと感じもする。こうして夜長にスクリプトを眺めてみたりもするのだけど。

含めて、我が身のことを考えもする季節です。

脳内オリエンタリズムとの戦い ー Fractus V

23 mai 2018

Fractus V

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アントワープの劇団 Eastman によるパフォーマンス。

人から教わった記憶があるのですが、kodôという太鼓パフォーマンス集団があるそうで、

そこに所属しているShogo YOSHIIさんという日本の方が一人出演していました。
衣装にもSumireさんという日本名らしき方を見つけました。

言語学者で思想家のチョムスキーからインスピレーションを得た「ダンス」作品とのことで、テーマは政治と世論操作。
いったいどうやって表現するの!?と興味をそそられましたが、
思わず↑のタイトルを付けてしまったくらい、自分のオリエンタリズム認識との戦いに。

出演者は、楽器の生演奏も含めて男性のみ。
わずかにある台詞部分は英語音声、背景にフランス語訳が投射されます。

Shogoさんはバスドラの他、不確かだけど和太鼓らしきパーカッションや横笛も扱い、歌も担当し(伝統芸能風の日本語歌もあり)、最後の方はダンスにも参加しとすごい。
中東出身の人や、民族楽器と思しきものが入り交じり、中国と思しき歌もあり(中国の俳優が一人)、オリエンタリズムむんむんです。

素直に享受できればいいんだけど、ここに住んでたぶん一番変化したのって、
「オリエンタリズム警察」が脳内に出来上がってしまったことかもしれません。
西欧での軽率な、あるいは罪のない東洋への興味を感知すると、脳内ポリスがピーポーピーポー警報を鳴らしてやってくるんです。といって特に何もしないんだけど。

特に衣装については、日本にいたときから「ヨーロッパにこういう潮流があるんだ」と認識していた色調だったので、
素直に作品テーマについて思いを巡らせられたかというと、怪しい。

とはいえShogoさんのパフォーマンスは圧巻で、なぜこの地でアジア系がクールと称されるかを納得させられました。
これもデリケートな話題だけど、西欧に住んで、住み慣れた場所から「下駄が外れ」てそれきりになってしまう人と、その場でなんとかやっていこうと奮い立つ人がいるのではないかと思うことがあります。
この人は自分のオリジンを活かして、やっているんだなあ。すごいなあと思った。

カーテンコールは最初からスタンディングオベーションで、正直びっくりしたんだけど、とにかくウケていました。席も見る限り満員御礼でした。
コレオグラフィ含め、身体的な面での説得力はたしかに強かったです。

と、どうも私の脳内ポリスの邪魔がうるさく、煮え切らない感想なので、
プログラムにある最後の問いかけ部分の訳を載せて、御免つかまつります。

「情報は提示されるが、私達はそれをどうやって扱うか知らない。そこで私は自問する:見かけ上、ある自由というのはそれでも何がしかの枠を要求するのだろうか?どんな尺度で私達の自省する力は中立でいられるのだろうか?なんの点において、私達は社会の機能不全から自分を識別するのだろうか?個人の責任とはどこで始まり、どこで終わるのだろうか?」」

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